一定期間更新がないため広告を表示しています
NIPPON NEWS LOG南北KOREA記事きままに収集
2013.02.13 Wednesday
保留の五輪銅メダルを授与 領有主張の韓国選手に
|
独島から離於島までの2160キロを6時間偵察 P−3C哨戒機搭乗記 |
|
FEBRUARY 22, 2012 08:01 | ![]() |
「17日午前6時、慶尚北道浦項市(キョンサンプクト・ポハンシ)の海軍第6戦団基地内の滑走路。記者が同乗したP−3C海上哨戒機は、暗 闇の空に飛び立った。4600馬力のターボプロップエンジン4機から吹きだすごう音が耳を突き刺した。東海(トンヘ・日本海)で機首を旋回させると、漆黒 のような海の上に船舶の明かりがちらちらと見えた。裸眼では空と海を区別することもできなかった。
しかし、機内のレーダー画面には、周辺海域を通過するすべての船舶の種類と航路が映し出された。操縦席の下に装着された赤外線暗視装置 (IRDS)は、闇の中でも船舶の形まで捉え、スクリーンに映し出す。P−3Cは、半径数百キロメートル内の約250の標的を追跡して識別することができ る。
「現高度7500フィート、速度を上げて独島(トクト、日本名・竹島)に向かう」。操縦士のイ・ミンヘ少佐(海士56期)が機内のマイクで隊員に目的地を伝えた。
朝日に照らし出される広大な海を約50分間飛行し、厚い雲の層を通過すると、窓の外についに独島の毅然とした姿が現れた。荒波に耐え、青黒い海の上に堂々と立っている「大韓民国の末子」の姿に感動が押し寄せた。
島の周囲を飛行する隊員に向かって、独島は「あなたたちが来てくれたのでさびしくない」と話しかけているようだった。高度を200メートル まで下げると、独島警備隊の警戒所と灯台が、手が届きそうなくらい近く感じられた。隊員は、近隣の海域を通過する海洋警察の警備艦と無線交信を行い、日本 の巡視船や漁船が接近するのを監視した。隊員の顔からは、国土の東端を誰にも狙われないように守り抜くという決意が感じられた。
しばらくして、機体は次の目的地の馬羅島(マラド)へ向かった。独島から国土の南端の馬羅島までは約950キロメートル。鬱陵島(ウルルンド)上空で乱気流にあい、座っていられないほど気体が揺れたが、隊員は黙々と任務に集中した。
「ソノブイ装着完了」。戦術統制官のパク・ヨンサン大尉(海士48期)の指示によって、水面すれすれに低く飛行し、水中音波探知機の「ソノブイ」を海中に投下する訓練を実施した。この装置で、敵の潜水艦の信号を探知し、位置が確認されれば魚雷を発射して撃沈する。
済州道(チェジュド)上空を通過して30分過ぎた頃。遠く東シナ海の真ん中に建てられた鉄製の構造物がかすかに見えた。最も浅いところで4.6メートルの海中にある暗礁の離於島(イオド)と、その上に建てられた海洋科学基地に上空で出会った感動は独島に劣らない。
馬羅島から149キロメートル離れた青い海に真っすぐに立っている離於島海洋基地は、決して譲ることのできない「大韓民国の土地」であることを実感させるに十分だった。
しかし、中国は離於島を蘇巌礁と呼び、領有権の野心を露にしている。このため、政府は済州西帰浦市江亭(ソギポシ・カンジョン)村に2015年完成予定の済州海軍基地に、周辺国の海軍力の増強に対抗して大韓民国の領土を守る「独島−離於島艦隊」を創設する予定だ。
中国は昨夏、官公船を離於島付近の海域に送って韓国の沈没船舶の引き揚げ作業を妨害し、今年は、3000トン級大型巡視船を離於島海域など東シナ海の巡察に投入している。
中国漁船の違法操業もますます激しくなっていると隊員は伝えた。P−3C哨戒機は、先月から離於島付近海域での中国漁船の違法操業の取り締 まり任務に当たっている。6時間、総2160キロメートルにわたる警戒飛行を終えたP−3Cは、終着地の済州空港内基地の滑走路に着陸した。
フランスの大手百科事典・地図出版社では、韓半島(朝鮮半島)関連の地図に「東海」(日本海)という名称を使用する例が相次いでいる。
150年以上の歴史を持つフランスの辞書出版社「ラルース」(Larousse)は、このほど出版した2012年版『ラルース小百科事典』と『世界社会・ 経済図鑑』で、初めて「東海」という名称を明記したことが19日、分かった。1852年に設立された同社はフランス最大の辞書・百科事典専門出版社だ。今 回出版された2冊の本を見ると、韓半島に関する内容が掲載されている部分の地図には「東海」のフランス語表記である「MER DE L'EST」という名称が先に書かれており、「日本海(Mer du Japon)」という名称はその下のかっこの中に入れられている。同社が2011年に発行したこれらの本には「日本海」とだけ表記されていた。同社関係者 は「東海と表記された昔の地図の発見が相次いでおり、名称に関し論争があるため、併記する方が読者に正確な情報を提供すると判断した」と説明している。
また、レストラン・観光ガイドブックで有名なミシュランも、昨年下半期に出版された大型世界地図と韓国観光ガイドブックで「東海」を「日本海」と共に表記している。ミシュランでは「日本海」を先に表記し、「東海」はその下のかっこに入れられている。
フランスでは地図に「東海」という名称を使用しているケースが多い。日刊紙ルモンドは09年から日刊紙と姉妹紙に「東海」と「日本海」を併記しており、同じく日刊紙のフィガロも二つの名称を併記した地図を掲載したことがある。
作家、司馬遼太郎氏は産経新聞に入社する前、京都の「新日本新聞」で記者をしていた。昭和21年6月からのことだ。発行部数5万、編集記者15人という新聞である。
その15人の中に青木幸次郎という背の高い男がいた。長崎県の対馬出身で、戦前は韓国・釜山で新聞記者をしていたという。
司馬氏はこの「対馬の人」にかなりひかれていたらしい。「街道をゆく」シリーズの『壱岐・対馬の道』には彼のエピソードが何度も出てくる。「新日本新聞」の編集局ではこんなことがあった。真ん中に立ちはだかり、新聞を読んでいた青木が急に大声をあげた。
「対馬は朝鮮領だと李承晩大統領はいってるよ」「おれの故郷(くに)もあぶないわい」
司馬氏によれば、九州人独特の諧謔(かいぎゃく)をこめていたという。周囲は大声で笑った。誰もがブラックユーモアとしか受けとらなかったのだ。
司馬氏は昭和22年の暮れか23年のことだという。李承晩が韓国の初代大統領となるのは23年夏だから、どんな立場での発言かはハッキリしない。ただ李承晩が本気で対馬を韓国領にしようとしていたらしい「証拠」は後に見つかる。
『壱岐・対馬の道』が週刊朝日に連載中の昭和53年4月、米国務省が公表したアジア・太平洋に関する昭和26(1951)年の外交文書である。『壱岐・対馬の道』にも書いてあるが、53年当時の新聞でもう少し詳しく調べてみた。
サンフランシスコ講和条約を2カ月後にひかえた26年の7月9日、韓国の梁裕燦駐米大使が米国務省にダレス顧問を訪ね、こう聞いた。
「対馬は韓国領だが、講和条約の下で韓国に引き渡されることになっているのか」
ダレスは答える。「対馬は極めて長い期間、日本の完全な統治下にあり、講和条約でも、現状に変わりははない」(会談メモ)
梁大使は7月19日にもダレスを訪問、対馬の領有権主張は取り下げる代わりに「竹島」を持ち出す。「独島(竹島)と波浪島は日韓併合以前に韓国領だった」。ダレスは明確な返事を避けたが、国務省はその後8月10日付でこれを否定する覚書を韓国側に送った。
「我々の情報では、竹島は1905年ごろからこの方、韓国の一部として取り扱われたことはなく…それ以前にも韓国が領有を主張したことはないようだ」というものだ。
1951年はすでに李大統領の専制政治が定着しており、梁大使の一連の動きが大統領の意を受けてのものだったことは間違いあるまい。
竹島を不法に「占拠」するためのダミーとして対馬を利用した可能性もある。しかし22年か23年にもそうした発言があったとすれば、終戦のドサクサ、火事場泥棒的に対馬を手に入れようという野望を持っていた可能性は強い。
李承晩は日本にとり、勝手に「李承晩ライン」を引き、多数の漁船を拿捕(だほ)する「とんでもない」大統領だった。韓国国内でもその傲慢な人柄や専制政治 がたたり、1960年辞任に追い込まれ、石もて追われるようにハワイに亡命した。今でも許せないという韓国国民も多い。
しかし竹島への国をあげての異常な執着や、韓国資本による対馬での土地買収の事実などを見ると、島への「野望」はしっかり引き継いでいる気がする。
(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|
PAGE TOP |