「偽の豪胆」と「真の臆病」

  • 2011.12.08 Thursday
  • 08:06
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111207/plc11120702590004-n1.htm 

【言(こと)のついでに】


論説委員・清湖口敏 

「偽の豪胆」と「真の臆病」

2011.12.7 02:58

 大きな災禍に見舞われた今年もいよいよ年の瀬、「為果(しは)つ」が語源ともされる師走となった。はたして民主党政権はこの一年、為(す)べきことをちゃんと為終えたのだろうか。

 行論(こうろん)上、季節外れの話題とはなるが、東日本大震災のあと、被災地を中心に全国で怪談が注目されたという。8月29日付の「大震災と文化」(東京本社発行)でも、怪談に詳しい文芸評論家の東(ひがし)雅夫さんが「怪談は犠牲者の無念を追体験し、死者を思いやる文芸」だと語っていた。

 怪談が怖いのは、霊魂など「目に見えないもの」への想像が働くからで、その想像が死者への思いやりにつながる。このように「怖がる」ことをむしろ秀でた情動とみるのは、怪談に限らず処世のあらゆる場面においても同様である。

 司馬遼太郎著『夏草の賦(ふ)』に出てくる土佐の武将、長曽(宗)我部元親(ちょうそかべ・もとちか)の言葉もそんな一例だろう。5歳の嫡子を戦場に連れていき、どの程度怯(おび)えるかを見たがった元親は、「想像する智恵が幼童になければ怖(おそ)れまい。幼童の豪胆は鈍感の証拠」「臆病者こそ智者の証拠」と断じた。元親自身も幼時は、夜陰に枝を張る木の影を見ては妖怪かと思い、厠(かわや)にも行けなかった。「想像力がゆたかすぎるからであろう」と述懐する。

 豪胆といっても無鉄砲にすぎない「匹夫(ひっぷ)の勇」や「暴虎馮河(ぼうこひょうが)の勇」もあることから、外面だけで人の資質を判断しないことが大切だ。武田信玄もやはり「遠慮(思慮)深き者」を臆病とみるのは「未練(未熟)」だとして戒めている。

 さて今夏、唐突に「脱原発」を言いだした菅直人前首相や、政権獲得選挙で「普天間移設は最低でも県外」と主張した鳩山由紀夫元首相の場合はどうだろう。一部のマスコミや知識人は「果断」と褒(ほ)めそやしたが、エネルギー政策や安全保障は国家の命運を制する重大事であり、普通なら、その決断に際してもっと慎重で臆病になるはずだった。

 それを軽々しく思いつきだけで自信たっぷりに口にするのだから世間には2氏を、よほどの豪の者かと思った人もいたかもしれない。「人間は努力する限り迷うもの」(ゲーテ著『ファウスト』)なのに、迷ったフシがまるでなかったのである。

 きっと物事の要諦を知るための努力もせず、日本経済の衰退や国防の危機にも全く想像が及ばなかったのだろう。長曽我部元親言うところの「鈍感の証拠」にほかならない。

 さらに−。菅氏は首相退任の直前、朝鮮学校無償化への審査再開を指示した。退陣を求める世論への想像も働かず、したがって怖がることも知らない氏の姿に私はふと、『四谷怪談』の民谷伊右衛門が吐いた名せりふ「首が飛んでも動いてみせるワ」を思い出したのだった。

 野田佳彦首相はといえば、先のご両人とは違っていかにも慎重な風情ではある。しかしそれは、マスコミの取材を避けたがる一点に徴しても明らかなように、遠慮深き慎重さではなく失言や反発を恐れてのものだから、これは智恵に基づかない正真の臆病といえよう。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加についても、考え抜いた末の決断であるなら次には真の豪胆を発揮すべきだったところを、反対勢力を前に臆病風に吹かれ表明を遅らせた。

 「偽の豪胆」と「真の臆病」。こんな政権の下で年を越すのかと思うと、怪談どころでない怖気(おぞけ)が背筋を襲う。

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  • 2019.09.15 Sunday
  • 08:06
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    ●鳩山由紀夫首相は、「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」と記者団に述べた。

    ●菅首相が、統合、陸、海、空、4幕僚長との協議の冒頭で「改めて法律を調べたら自衛隊に対する最高の指揮監督権を有していた」と述べた。

    アメリカ側の代表者であったメア氏は、「日本では、識者と呼ばれる教養人、国会議員、更に地方自治体の議員も、安全保障に関して知識がないことはいいことで、説明しないことは賢明な対処法だと考えているように見えます。それは私にとっては本当に驚きの連続です」と語った。

    個人の表現がなくては、個人選びは難しい。また、傑出した個人を育成することも難しい。つまり、個性がなくては高等教育がなりたたない。どんぐりの背比べ。政治は三流。

    アメリカ側の責任者であるメア氏は語る。「普天間飛行場問題での選択肢は現状の固定化か、辺野古への移転しかありません。東アジア、西太平洋に配備されている米軍で唯一、機動力のある部隊が海兵隊です。機動力ゆえに海兵隊は最大の抑止力なのです。強靭な精神力を持つ彼らは、アメリカの日本防衛に対するコミットの象徴でもあります。海兵隊は航空部隊、陸上部隊、支援部隊が同じ演習場でなければ訓練出来ません。統合性を欠く訓練は無意味です。鳩山内閣は軍事的理論より政治的理論を優先させて県外に移すと宣言しましたが、私は2010年5月、自分が国務省日本部長である限り、日本の国内政治のためにアメリカの若い海兵隊員の命を犠牲にするつもりはないと、鳩山首相に伝えてくれと日本側に言いました」

    地政学な内容が頭の中に入っていない県民代表と、国防の議論を何回繰り返してもリーズナブルな結論は得られないであろう。「百年兵を養うは、一日のため」である。
    相手の程度を考えて話し合うことも、時と場合によっては必要である。
    語る内容が歌詠みであっては、外敵を抑え込む力にはならない。先の沖縄戦の時もそうであった。

    意思は、未来時制の内容である。
    日本語には時制がない。
    だから、日本人には意思がない。
    自他ともに、本人の意思の内容を確認しようと真剣になることはない。
    意思がないところに責任はない。
    国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。
    死刑執行人が殺人罪に問われないようなものである。
    とかくこの世は無責任。

    「米軍の訓練や日米安保体制についての深い議論は避けたい。なぜ日米安保や基地や訓練が必要かを議論せず、すべてを米国のせいにする。説明は責任につながるので、責任をとりたくない政治家や外務省は、誰も説明しない。従ってこのままでは安全保障についての日本政府と日本国民の理解は深まりようがない、と私は心配しています」とメア氏は語る。(引用: 「30年、日本を見詰めたメア氏の証言」  桜井よしこ氏)

    意思のない人とは議論ができない。
    意思のない人は、つかみどころのない人だからである。
    実況放送と現状報告の内容のみを語る人は子供のようなものである。
    英米人は、12歳の大人の住む国に来て困惑している。

    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
    http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

    • noga
    • 2011/12/11 5:22 PM
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