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    豆満江の国境
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      http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2008080815738 



      [オピニオン]豆満江の国境
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      AUGUST 08, 2008 06:26
      豆満江(トゥマンガン)は、白頭山(ペクトゥサン)から発源し、東海(トンヘ、日本名日本海)に流れ、中国の吉林省、ロシアの沿海州と国境を成す。豆満江の河口に鹿屯島という小さな島(32平方キロメートル)がある。今は、ロシアが実効支配しているが、元来、朝鮮の土地だった。李舜臣(イ・スンシン)将軍が、宣祖20年(1587年)から3年間、守った島だ。赴任初年には女真族の襲撃を受けて退いたが、翌年、女真族と「鹿屯島の戦い」を行ない、島を守った。

      ◆鹿屯島は、金正浩(キム・ジョンホ)の「大東輿地図」にも、朝鮮の土地として記録されていたが、第2次アヘン戦争直後の1860年当時、清が、英国、フランス、ロシアと「北京条約」を結んだ時にロシアに渡った。無能だった朝鮮政府は、この事実をまったく知らなかった。高宗(コジョン)は在位20年(1883年)に、西北経略使の魚允中(オ・ユンジュン)に「島をよく調べよ」と命じただけだ。ハングルで「鹿+丘+島」と書くこの荒れ地を、朝鮮の農民たちが沃土に変え、1937年まで暮らした。

      ◆子孫が有能で力があったなら、帝国主義時代の国境条約を認めない国際法によって、土地を取り返すことができただろう。北朝鮮は90年、旧ソ連と国境条約を結び、「北京条約」をそのまま認めた。国土も保全できず、「強盛大国」だの「主体」だのと叫ぶ北朝鮮が嘆かわしい。4年前の東亜(トンア)日報の連載記事「私たちの土地、私たちの魂―領土紛争の現場に行く」によると、鹿屯島には、畑の畝の跡があり、主人を失った家や、釜、真鍮の器、かめの破片まであった。しかし2年後、ロシアが島の端に堤防を築き、軍事基地を設置した。

      ◆北朝鮮とロシアは昨年末から、豆満江17.5キロ区間の国境線を再画定する作業に入った。川は水位によって土地が変形し、紛争の対象になる可能性もある。そのため、実効支配がカギとなる。ロシアは、03年から川辺に柳を植え、05年からは堤防を築いて、国境の強化に力を入れている。北朝鮮が、羅津(ナジン)開発事業にロシアの金を引き入れるために、豆満江河口の一部の領土を譲歩するかもしれないという声が出ている。世界最貧国の北朝鮮が、金のために先祖の魂がこもった土地を他人の手に渡さないか心配だ。

      許文明(ホ・ムンミョン)論説委員 angelhuh@donga.com

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