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    金日成広場のトイレ

    • 2012.03.19 Monday
    • 12:04
    http://sankei.jp.msn.com/world/news/120319/kor12031907190001-n1.htm


    【from Editor】

    金日成広場のトイレ


    2012.3.19 07:18
    北朝鮮


     天安門広場、赤の広場、金日成広場は革命と権力誇示と抵抗の舞台だ。そして天安門広場は世界最大の広さで、赤の広場は世界遺産になった美しさでも知られる。では金日成広場は?


     「英雄的朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ!」


      1992年4月。朝鮮人民軍創設60年式典で金正日氏がお立ち台から初めて甲高い声を発して以来、広場は北朝鮮の「顔」である。金日成、金正日父子の葬列 がここに集合し、金正恩氏が金正日生誕70年軍事パレードを閲兵した。来月15日には金日成生誕100年の祝典が、25日は人民軍創設80周年の軍事パ レードが行われる。数十万人の住民らが近くの沿道に晴れ着姿で集まることだろう。


     だが、金日成広場に軍人や群衆のためのトイレはない。だから、軍人たちは前日から極力、水を飲まない。広場の地下に数カ所のトイレがあるらしいのだが、入り口は近年通行止めだ。ちなみに天安門広場は周囲の歩道の溝に水を流して臨時トイレにしている。


     北朝鮮の数十万人の軍人や住民は、国家行事の前日から市内各所に集合を命じられる。人々はやむなく道端で用を足し、厳冬も盛夏も金一族の行事のため野外で夜を明かす。実に非人道的、非生産的な人力浪費の限りだ。


     綾羅島メーデースタジアムで行われるマスゲームには、10万人の平壌市内の小中学生が招集される。訓練は6カ月から1年間続くが、子供たちは喜ん で練習するという。ほうびにもらえるわずかなお菓子や学用品のためだ。いま、平壌の少年少女は来月の本番に向けて金日成生誕100年マスゲームの練習に余 念がないだろう。子供たちはマスゲームにはトイレ用のビニール袋などを持っていく。


     国家や組織が主導するマスゲームなど、一糸乱れぬ集団 行動というのは政治思想的な意義が大きい。ある集団や国家を、生命体、有機体とみなそうという意図が背後にあって、熱狂や陶酔を作り上げる。だから中国も 旧ソ連もヒトラーのドイツにもマスゲームがある。「有機体国家論」はナチズム体育学を生み出し、「個人は国家の肢体」とみなされた。


     北朝鮮のマスゲームは、スターリン主義者だった金日成がソビエト体育事業から導入した。初演は1948年だ。幼い児童を動員するアイデアは金日成が考えた。おなかをすかせた子供たちが国家威信をかけた生誕100年のメーンイベントを演じる。(編集委員 久保田るり子)



    _____________________ 一 言 ______________________


    久保田氏の記事の意図に異論を唱えるつもりはない。確かに北朝鮮が主宰するマスゲームには多くの矛盾が隠れているのであろう。だが、「国家や組織が主導するマスゲーム」を「ある集団や国家を、生命体、有機体とみなそうという意図が背後にあって、熱狂や陶酔を作り上げる。」と単純に批判しているのはどうであろうか。


    北朝鮮やソ連やドイツの「個人は国家の肢体」とみなす全体主義を批判する=正しい。だが、「全体主義」と「ある集団や国家を生命体、有機体とみなそうという意図」とを同じに考えているのは間違っている。


    全体主義或いは国家主義と「国家を生命体、有機体とみなそうという意図」とは似て非なるものである。全体主義或いは国家主義は個を手段として使う。だから「自己犠牲」が強制される。だがそれでは国民はついて行かないから「勉強」という名目の「洗脳」が行われる。そうすると国民の中に「自己犠牲」と意識しない自らの意思の「自己犠牲」が現れる。


    それを北朝鮮も中国もソ連も民主主義と主張した。確かに民主主義は個々の国民を基本としている。だが、どんなに言い訳しても「自己犠牲」が現実には強制である社会は腐敗・頽廃して崩壊する。


    個人と社会の関係をどう位置づけるかで、社会主義陣営と自由主義陣営は反目し、戦い続けた。これが東西冷戦のもう一つの顔である。この戦いは自由主義陣営の勝利で終わった。如何に洗脳し教育しても、強制された「自己犠牲」の社会は、個人を破滅させ、国家を自壊させたのである。


    だが、社会主義の自由主義・資本主義への批判が全て間違いであったかというそうではない。自由主義も資本主義も未だにその間違いを引きずり続けて、国民にこの世に生を受けた喜びを与える事は出来ないままである。


    実はその喜びを与えることが出来るのが、「国家を生命体、有機体とみなす」社会なのである。おそらく久保田氏はここを間違えている。氏が言う「国家を生命体、有機体とみなそうという意図」とは、北朝鮮・中国・ソ連・ヒットラーの率いるドイツの、個人を社会や国家の手段となす全体主義、国家社会主義のことであろう。それは違う。彼等の言うのは一切が人為である。本来の「生命体」も「有機体」もそのようなものではない。久保田氏には人間社会だけを見ずに、本物の「生命体」「有機体」は「大地自然」の中にあるのだということを指摘したい。それこそが人間を人間たらしめ、この世に生を受けた真の喜びを人々にもたらすものなのである。

    その本来の「生命体」や「有機体」としての国家を本質として有するのがこの日本なのである。愛と真実を具現化するのが我が国本来の姿である。




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