http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120501-00000875-chosun-kr
(朝鮮日報日本語版)
北の政治犯収容所、
収監理由は「脱北」が最多
朝鮮日報日本語版 5月1日(火)11時5分配信
拷問や虐殺が日常化している北朝鮮の政治犯強制収容所には、粛清されたり体制転覆を企てたりした「本当の政治犯」より、生きるために脱北した人や連座制(犯罪者の家族などを処罰すること)により収監された人の方が多いことが分かった。
■収監理由、最多は「脱北」
韓国国家人権委員会が脱北者約800人の証言をまとめ、先ごろ発刊した『2012北朝鮮人権侵害事例集』によると、政治犯収容所の収監者・収監経験者
278人の収監理由のうち、最も多かったのは脱北(66件、23.7%)だった。脱北者本人だけでなく、脱北を手伝った人も収監対象となった。また、韓国
の姉から送金された金を受け取ったという理由だけで連行された人もいた。
咸鏡北道穏城郡出身のアン・ソンチョルさんは、2000年の収監当時16歳の未成年だった。母親が餓死した後、食糧を求めて中国に渡り、韓国亡命を決意し数千キロ歩いてミャンマーまでたどり着いた。だが、同国の警察に逮捕され、中国を経て北朝鮮へ強制送還された。
咸鏡北道吉州郡出身のホ・ヨンイルさんら7人は、1999年11月に豆満江を越えてロシアに入った。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から正式に
難民として認められたが、韓国亡命を待っていたところロシアの警備隊に拘束された。一行は01年に中国に移送された後、北朝鮮へ強制送還された。ホさんを
含む5人は政治犯収容所に収監され、残り2人は行方が分からなくなった。
羅津市出身の労働者、キム・イルテさんの家族4人は中国に脱北したが、韓国人を装った北朝鮮の国家安全保衛部工作員グループに拘束された。この工作員た
ちは、2000年1月に中国の延吉市でキム・ドンシク牧師を拉致したグループだ。韓国軍捕虜の息子に当たる夫と一緒に脱北したイ・ソルファさんも、同じく
工作員グループに捕まり、99年に政治犯収容所に収監された。
また、韓国出身のキム・ジョンミョンさん(67)は、日本に密航した後に北朝鮮へ渡ったが、韓国軍の一員としてベトナム戦争に参戦したとの理由でスパイと見なされた。
■「失言」も収監理由に
北朝鮮の体制を非難する、韓国や欧米諸国への憧れを語るなど、失言や発言が原因で収監されたケースも45件(16.2%)に達する。平壌国際関係大学の
英語講座長(学科長)だったチェ・ヨンファさん(72)は、酒に酔って「外国の作家たちは気楽に違いない。私たちは金日成(キム・イルソン=故・金日成主
席)の考えに合わせて文章を書かねばならず、苦悩が大きい」と発言し、収監された。チェさんは、北朝鮮が1968年に拿捕(だほ)した米海軍の環境調査艦
「プエブロ」乗組員の尋問を担当した経験も持つ。
国営メディア、朝鮮中央通信の記者だったチャ・グァンホさんは「金正日(キム・ジョンイル=故・金正日総書記)は、人民の生活は眼中になく、自分の偶像
化にばかり熱心だ」とこぼしたとの理由で、また開城市の人民病院救急科の医師だったファン・ジョンホさんは、外国人医療ボランティアに北朝鮮の劣悪な病院
の実態を非常に詳しく説明したとの理由で、それぞれ辛酸をなめた。科学院研究所所属の研究者だったキム・グァンヨンさんは「研究事業も満足にさせてもらえ
ない。他国で暮らしたい」と言ったことで「政治犯」となった。
また、新義州市の学生だったチェ・スンエさんは、父親が故・金日成主席に「偉大なる首領」という呼称を付けなかったとして収監された。チェさんのよう
に、家族の罪を理由に政治犯収容所に収監されたケースも44件(15.8%)に上る。キリスト教の信仰を理由に収監されたケースも5件あった。
脱北者で元北朝鮮政府高官の1人は「裏金の造成や収賄・贈賄、スパイ行為などの重い罪を犯したり、政治的な事件に巻き込まれたりして収監されたケースは
64件(23.0%)にとどまる。生きるために脱北した人や連座制の被害者までを死に追いやる政治犯収容所は解体すべきだ」と語った。