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    金正恩第1書記の生母、高英姫氏の隠された波乱人生
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       http://sankei.jp.msn.com/world/photos/120501/kor12050109050000-p1.htm

      【桜井紀雄の劇的半島、熱烈大陸】

      韓流ドラマ超え 


      金正恩第1書記の生母、高英姫氏の隠された波乱人生


      2012.5.4 07:00
      (1/10ページ)韓国

      金正恩第1書記の生母、高英姫氏(北朝鮮発行の絵はがきから)

       劇場型国家−。金日成主席、金正日総書記、金正恩第1書記と続く金ファミリーへの礼賛と演出であふれた北朝鮮についてこう称されることがある。し かし礼賛対象であるはずが舞台に上がることさえ許されなかった女性がいる。金第1書記を産んだ新たな「国母」故高英姫(コ・ヨンヒ)氏だ。その実像は北朝 鮮国内では一言も触れられず、日韓でも在日朝鮮人出身の元踊り子という以外、ほとんど知られてこなかった。彼女の隠されてきた過去には、韓流ドラマをはる かにしのぐ劇的人生があった。


      取り違えられた過去

       日韓両政府の資料や北朝鮮関係者の証言などによると、高英姫氏は1952年6月26日、日本最大のコリアタウンとして知られる現在の大阪・鶴橋付近で誕生。10歳当時の62年10月、家族と一緒に「帰国船」に乗って北朝鮮に渡ったとされる。

       北朝鮮は「地上の楽園」だと日本のメディアも巻き込んで喧伝(けんでん)され、大半の在日朝鮮人の出身地が南の韓国だったにもかわらず、約9万人もの人が北朝鮮に“帰国”した。共産主義国家へのあこがれがまだ力を持っていた一種の熱狂の時代だった。

       北朝鮮に渡った後は、容姿とスタイルの良さから平壌音楽舞踊大学舞踊学科に進学し、北朝鮮で最高峰の芸術組織とされた「万寿台(マンスデ)芸術団」の一員に選抜され、やがて金総書記に見初められる−。

        以上が簡単な彼女の経歴だ。これが裏付けられるのは、北朝鮮帰国者名簿など日本の法務資料に記録が残っているためだ。しかし彼女の当時の日本名は高田姫で 朝鮮名は高英勲(ヨンフン)。英姫というその後の名前ではない。このため、同じ姓と似た経歴を持つ女性が「英姫」だと信じ込まれる取り違えが起きた。



       その女性は、力道山ほどでないにしろ、在日朝鮮人出身の格闘家として名声のあった高太文(テムン)氏の娘、高春行(チュネン)氏だ。年齢と帰国時期が近く、万寿台芸術団所属という経歴が重なっていた。

       この「高春行=高英姫」説を日本人記者らが“発掘”して発表。一般の日本人に加え、在日朝鮮人社会の中でも、金総書記の側室が在日朝鮮人出身だということは公然の秘密だったが、公には語られないため、「有名人の娘」というもっともらしい説が信じて疑われなかった。

       この説は、韓国の情報機関、国家情報院(国情院)が2006年に公式に否定した。さらに独自の丹念な調査で覆したのが北朝鮮情報専門ニュースサイト「デイリーNK」の東京支局長で同じ「高」の姓を持つ高英起(ヨンギ)さんだ。



      愛人4人に子供十数人を持つ豪快な父


        国情院が公表した高英姫氏の父の名前は高京沢(ギョンテク)。この名前を手がかりに高英起さんは、北朝鮮宣伝の一環で日本で発行されていた写真誌「朝鮮画 報」の1973年3月号から《帰国者だより−咸鏡北道ミョンガン化学工場生活必需品職場コ・ギョンテクさん一家》と題した家族写真を見つけ出す。

       写真に付随して「次女ヨンジャは功勲俳優として活躍している」との記述がある。「ヨンジャ(英子)」こそ、さらに改名し、金総書記に見初められることになる英姫氏だ。

       まさかはるか先に「国母」になるとは予想だにされなかった当時、在日朝鮮人出身という出自が堂々と掲載されていた。日本で出版されたがために回収されることもなく、英姫氏の出自を裏付ける一級資料が残されることになった。

       韓国の北朝鮮専門家の一人は「北朝鮮は金ファミリーの歴史など政権維持に関わることは改竄(かいざん)するが、それ以外は案外あからさまな嘘は残さない」と指摘する。






       その写真には、一家団欒(だんらん)に笑顔する高京沢氏が写っているが、京沢氏はほのぼのとした様子からはうかがい知れない波瀾(はらん)万丈の 経験を経てきた。いや、修羅場をくぐり抜けてきたといったほうがいい、彼が北朝鮮に渡ることになった経緯も北朝鮮関係者らの証言などから浮かび上がった。

        京沢氏は1913年に韓国の最南部に位置する済州島で船頭の三男として生まれた。16歳で大阪に渡る。出稼ぎが目的だったとみられ、軍服などを生産する工 場で働いた。日本が朝鮮半島を支配していた当時、日本と朝鮮半島に国境はなく、済州島の人々にとって大阪はソウルよりも近い大都会だった。

        京沢青年が一攫(いっかく)千金の夢見て海を渡ったとしても不思議ではない。正妻のほか、4人の愛人を持ち、把握されただけで十数人の子供をもうけた。戦 後には、済州島と行き来する密航船を運営したとして逮捕された。愛人や子供の多さ、密航船の運営をとっても、ある程度の資金を蓄えていたことが推測でき る。軍需工場の一介の労働者から見事に成り上がったといえる。

       しかしやがて破綻する。原因の一つは逮捕だ。さらには女性関係のもつれがあったとされる。「地上の楽園」という理想を追ったとうより、日本国内でも済州島でもなく、何のしがらみもない北朝鮮に逃げ出すことで女性問題を一気に解消するという現実主義に立ったわけだ。

       切迫していた証拠に最初は最も若い愛人とその子供だけを連れて北朝鮮に渡ったとの証言もある。その後に高英姫氏ら他の家族を呼び寄せたようだ。すんでのところで後の「国母」が海を渡らず、現在の指導者、正恩氏も生まれなかった可能性さえあった。




      高英姫氏が所属した万寿台芸術団の踊り子たち。最前列左が英姫氏とみられる(北朝鮮発行の絵はがきから、北朝鮮ウオッチャー金正太郎氏提供)




      北朝鮮でトップの踊り子になり、金総書記の専属料理人の藤本健二氏が著書で「名女優、原節子に似た清楚(せいそ)で凛(りん)とした美人」と称賛したほどの高英姫氏だけに日本に残ったとすれば、日本の銀幕を彩るスターになっていたかもしれない…。

       ともかく「朝鮮画報」に写し出された団欒もようからは、京沢氏は見事に逆境を脱したことがうかがえる。金総書記と娘の同居を境に平壌の「万景台記念品工場」の顧問支配人という栄誉職に取り立てられ、86歳で天寿を全うした。

       愛人作りや密航船という倫理問題を差し引けば、京沢氏の生き方から、当時の在日朝鮮人社会にあって、したたかさと豪快さを併せ持つ生命力の強さを感じるのは私だけだろうか。



      「初代喜び組」から側室に


       「金総書記の執務室には万寿台芸術劇場の訓練場を映し出すモニターがあり、金総書記はこの画面で練習中の高英姫氏を見いだした」。韓国の脱北者らでつくる「北朝鮮戦略情報サービスセンター」は昨年、こんな情報を伝えた。

       真偽のほどは明らかでない。ただ、高英姫氏が万寿台芸術団で踊り子として活動中に金総書記に見初められた後、側近を招いて開いてきた秘密パーティーでの個人パートナーとなったことは、別の内部情報からも伝わっている。

        高英姫氏は当時、いわば「初代喜び組」といえる存在だった。喜び組といえば、ことさら強調された過激な衣装や性的接待がイメージされるが、草創期にはその ような気配はない。芸術団の中でも美貌、才能から選び抜かれ、金総書記を頂点にした北朝鮮指導層をエスコートする北朝鮮芸能界きってのエリートだった。

       のちに幹部と結婚したメンバーも少なくないが、高英姫氏は金総書記の側室という芸能人から出世できる頂点に立ったことになる。



      金正恩第1書記の生母、高英姫氏



       「朝鮮画報」で京沢一家が紹介された73年に行われた万寿台芸術団日本公演では、主役の座を獲得。朝鮮画報でも彼女を際立たせた写真が掲載された。高英起さんは「金総書記の特別な“配慮”を受けて異例の抜擢(ばってき)が行われた」という証言を関係者から得ている。

       高英姫氏は、金王朝のプリンスに目をかけられることでたちまちスターダムに上り詰めた。「特別な配慮」によってアンタッチャブルな存在になったことで、劇団内での熾烈(しれつ)な競争や妨害、渦巻く女同士の嫉妬とは無縁でいられたようだ。

       しかし別の関係者は「後継者に見初められた高英姫氏は異例な存在だが、血統や出生成分(階層)を重視する北朝鮮では、芸能人出身者には出世の限界があった」と話す。在日朝鮮人出身の元踊り子という出自の壁は、2004年の高英姫氏の死後もつきまとうことになる。



      正男の母との冷戦


       高英姫氏は1976年から平壌の別荘で金総書記と同居を始め、次男の正哲(ジョンチョル)氏、のちに指導者に就く三男の正恩氏をもうける。しかし安泰というわけにはいかなかった。

        長男、正男氏を生んだ成恵琳(ソン・へリム)氏がいたほか、73年には金総書記は正妻となる金英淑(ヨンスク)氏と結婚していた。特に正男氏については金 総書記、祖父の金主席ともに「目に入れても痛くないほどのかわいがりようだった」といい、金主席は早くから正男氏を将来の後継者と認めていたという。

        英姫氏は93年にフランスで乳がんの手術を受けたとされるが、藤本氏は、金総書記の様子について「入院中の奥様から来た手紙を読みながら、奥様を心配する あまり、涙をポロポロと流していた」と著書で振り返っている。英姫氏は、亡くなるまで20年以上、金総書記と同居し、愛情を注がれ続けた。


       しかし容姿の美しさや環境、運に恵まれたからだけではなかった。藤本氏らの証言からは、周囲に絶えず目配し「白鳥の水かき」ともいえる緊張した日々を送っていた姿が浮かぶ。

        金総書記は夜型で、パーティー後の深夜に膨大な報告書の一つ一つに目を通し、明け方に就寝する生活だった。英姫氏はいつもそばに付き添い、書類整理を助け ていたという。藤本氏は「将軍の睡眠時間が4時間なら、高英姫夫人の睡眠時間はもっと短かったのでは」と振り返っている。

       「(次男)正哲 が生まれて以降、高英姫は強い影響力を持ち始め、叔母にライバル心をあらわにするようになった。口にこそ出さなくても彼女の夢は正男をけ落として、わが子 を後継者にすることだ。勝ち気な彼女は自分の忠誠分子をどんどん増やし、叔母にプレッシャーをかけていった」

       のちに韓国に亡命し暗殺されることになる恵琳氏のおい、李韓永(リ・ハンヨン)氏は、金総書記の愛情を奪った英姫氏への憎悪をむき出しにして手記にこう記している。

       恵琳氏と韓永氏の母の姉妹は、英姫氏の鼻がトンカチに似ていると、朝鮮語のトンカチに発音が近い「パチンコ」という隠語で呼んで陰口を言っていたという。



      時に控えめ、時に命がけ


       こんな嫉妬はどこ吹く風で、高英姫氏は、持ち前の目配りで夫の金総書記だけでなく、夫の部下らも引きつけていった。

       「夫人は(金総書記の)部下に高飛車な態度を取ることは一切なく、自らの分をしっかりわきまえていた。私のような料理人にもとても優しく接してくれた」と藤本氏も心酔ぶりを明らかにしている。

       極め付きは次のエピソードだ。


       金総書記が別荘で食事を終え、一人外で夜風に当たっていると、泥酔した警護員の男に出くわした。「酒を飲んでいるのか」と怒鳴ると、逆上した男が いきなり銃を総書記の額に突き付けた。その瞬間、果敢に男に飛び掛かったのが英姫氏だったという。文字通り、命がけで夫の命を救い、総書記の側近らの心ま でつかんだのだ。

       死去する前には「尊敬するお母さまは(金正日)最高司令官同志に限りなく忠実な忠臣の中の忠臣であられる」と朝鮮人民軍内部で英姫氏を偶像化する文書が作成された。

       この一時浮上した偶像化は、正哲氏ら英姫氏の子供を後継者に担ぎ上げる動きとされ、後継者争いを嫌った金総書記の命令で固く禁じられたとされる。ただ、英姫氏の「忠誠分子」が軍内にも広がっていたことを示す証左とはいえるだろう。

       臭い嫌いの金総書記を気遣い、香水をつけることもなく、人前で日本語を口にすることもなかったともいう。一方で、これまでも報じられているように正恩氏らを連れてお忍びで東京ディズニーランドなどを訪れていた。プライベートでわざわざ日本の美容院にも通っていた。

       一族の故郷は南の済州島で自身が生まれたのは大阪。本来、北朝鮮は縁もゆかりもない土地だった。日本通いを続けたり、藤本氏らと会話したりする中で「望郷の思い」に駆られることもあっただろう。


      恐怖による口封じ


        「正恩氏の存在すら後継者として宣伝されるまで住民には知らされてこなかった。高英姫氏についてもごく一部の人たちを除いて全く知らなかった。在日朝鮮人 帰国者の間では、『在日出身』が(金総書記の)子供を産んだということが伝わっていたが」。北朝鮮関係者の一人はこう説明する。

       金総書記が金主席の後継者として公式登場した1980年ごろ、英姫氏の出自を知る在日帰国者らが相次ぎ行方不明になっていった。「英姫氏は在日帰国者だ」と口にしたため粛清されたとされた。

       昨年12月の金総書記の死去直後、北朝鮮指導部内で、英姫氏の在日出自を「最高機密」に指定し、口外した者を厳罰に処する方針が下されたことも判明している。正恩氏が指導者に就任するに当たって真っ先に取られたのが母親の「実像を隠す」という措置だった。

       「革命の血統」を3代世襲のよりどころとする金政権にとって母が「在日出身の踊り子」という出自は、政権の正当性を揺るがしかねない「不都合な真実」とみなされたのだ。

        金総書記の母、金正淑(ジョンスク)氏は、北朝鮮で最も尊敬される女性としてこれでもかといわんばかりの礼賛と偶像化が行われてきた。後継者に就くにあ たって金総書記自ら両親の偶像化を計画、指揮した。対する正恩氏は、指導者就任に当たって側近らが決めた機密指定に従うだけという孤独な運命を背負わされ た。

       金総書記の帰りを「お母さまと夜通し待った…」。今年に入って金第1書記を紹介した記録映画の中で、第1書記の孝行ぶりを示すエピ ソードとしてこう描かれた。2月に入ると、金第1書記の母親を指す「平壌のお母さま」という表現が登場した。専門家の中には「一気に高英姫氏の偶像化が進 むのでは」との観測が広がった。だが、それ以来、目立った描写はない。

       済州島の血を引き、大阪で生まれた「国母」は、たった一言だけで北朝鮮の首都「平壌のお母さま」に仕立て上げられた。北朝鮮は、金第1書記が朝鮮労働党と政府のトップに公式に就任した4月以降も高英姫氏について沈黙し続けている。



      閉ざされた「改革開放」の道


       「祖父の金日成主席は元はといえば、中国からの帰国者。父、金正日総書記もロシアからの帰国者だった。母親が日本からの帰国者ということを隠すことは、自らの出自に対する冒涜(ぼうとく)にほかならない」

       高英姫氏の足跡を追い続けている高英起さんはこう語気を強める。

       金主席は子供時代に日本支配下の朝鮮半島を離れ、一家で中国に移ったと史実に記されている。中国で抗日ゲリラ戦に身を投じたが、最終的にロシア極東地域に撤退。そこで「ユーラ」というロシア名を持つ金総書記が生まれた。

        そして戦後、ソ連のおぜん立てで北朝鮮に「凱旋(がいせん)」した。従って「祖父は中国からの帰国者。父はロシアからの帰国者」といえるのだ。だが、金総 書記のロシア生まれの出自は隠され、金主席が抗日戦の拠点にしていた、朝鮮民族の聖山、白頭山のふもとで誕生したと歴史がつくり替えられた。

       英姫氏の在日出自の隠蔽(いんぺい)は、既に金総書記が自らの出自を捨てた時点で運命付けられていたのかもしれない。そして「金王朝」を守るという「枠」の中だけで北朝鮮の歴史は紡がれていった。

       ひるがえって正恩氏の外祖父の高京沢氏。大阪に出稼ぎに渡り、日本の軍需工場で働くなど、ある意味、日本統治の枠組みを受け入れ、北朝鮮に“帰国”後は金政権の枠組みに順応し、したたかに生きてきた。

        金主席は、朝鮮戦争などの危機を逆に政敵たちを追い落とすチャンスとし、緻密に自分の王朝を築き上げた。ただ、過去はといえば、最大の抗日戦とされる中朝 国境地域での「普天堡(ポチョンポ)戦闘」は、単に日本支配地域の駐在所を襲っただけ、ソ連のおぜん立てでようやく支配者として舞い戻ることができた。


       ある種の限界と「枠」の中で生きてきたのだ。金主席と高京沢氏、どちらが偉いということは一概にいえない−といえば暴論になるだろうか。

        ただ、言えることは、正恩氏に続く血脈が中国、ロシア、日本という異境を経て形作られたという厳然たる事実だ。正恩氏自身はスイス留学も経験している。 「自分たちが帰国者」と公言することは、汎東アジア国家を目指すというか、少なくとも「改革開放」にかじを切るチャンスだったともいえる。

       しかし、この政権は、それを徹底的に隠蔽し捏造(ねつぞう)して、国民の口を恐怖で閉じさせることで世界にもまれな閉鎖国家を作り上げた。門を閉ざした密室の中で、金王朝の延命だけに汲々とし、国民を苦しめ抜いている。

       彼らが最も強調する血統に対するこれ以上の冒涜、歴史への逆行はない。



       「劇場型国家」北朝鮮に対して、人間ドラマでいえば、南の韓国も負けていない。さらにホットなニュースが飛び出すのがお隣、中国だ。これから月1回ペースで、韓国、北朝鮮という「劇的半島」と「熱烈大陸」中国の話題を紹介していていきます。(外信部記者)



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