スポンサーサイト
- 2021.04.19 Monday
一定期間更新がないため広告を表示しています
- -
- -
- -
◆中国:沖縄返還、根拠欠く 日本帰属に疑義
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050801-00000108-jij-int
中国の国際問題専門誌・世界知識の最新号は、「戦後の日本による米国からの
琉球接収は国際法上の根拠を欠き、その地位は未確定のままだ」と主張した。
中国は沖縄県尖閣諸島の領有権などを日本と争っている。日本側主張の基礎と
なる沖縄の帰属についても問題点を指摘し、日本側を揺さぶることが狙いとみ
られる。
(時事通信) - 8月1日
牡丹社事件 −「日清両国間互換議定書」に書かれたこと−
明治4年(1871年)に牡丹社事件というものがありました。那覇に行った宮古島の貢納船がその帰りに暴風雨で遭難し、台湾南部に漂着、乗員69人のうち3人が水死、残りは台湾原住民族・パイワン族の集落、牡丹社に救助を求めたが、54人が殺害された。生き残った12人は翌年、中国・福建省を経由し那覇に命からがら帰ったという事件です。
外務卿副島種臣は1873年に北京を訪れ、清国政府と直接交渉しましたが、清国政府は、台湾の住民は「化外の民」で「教化の及ばぬところ」と事件に対する責任を拒否したのです。清国政府が台湾に住む部族のしたことを、我が国の教化の及ばぬ者達が為したことであるから、自分たちに何も責任はない、我は関知しない、責任は取らぬというのです。これは台湾は完全なる我が国の領土ではないと世界に発言したものです。台湾の住民すら「化外の民」であるという国が、本当に尖閣諸島を自国の領土と考えていたのでしょうか。誰だって甚だ疑問があると言わざるをえません。
さて、明治政府は74年、牡丹社懲罰の為に「台湾出兵」をします。
征討軍はまず厦門に立ち寄り、清国の福州総督に出兵の告知をし、その上で台湾に上陸します。牡丹社を制圧し宮古島民の53柱を回収し、更に他の台湾部族との戦いも7月には終わり、57部族と和議をします。
清国とは10月31日、駐清国イギリス公使ウェードの調停で、「日清両国間互換議定書」が調印されます。
清国は日本の行為を「民を保つ義挙」と認めて先住民に害された者の遺族に見舞金10万両を、台湾の現地に日本の征討軍が設置していた施設や道路を清国が買い上げるという名目で40万両を支払うという内容です。
滿清政府也昏庸到底,以賠銀五十萬兩外,在和約中確定「日本此次聲稱為保護琉民而進兵入臺,中國不指為不是」,這是更大的損失,等於承認日本有權保護琉球,中國無形中喪失了對琉球的宗主國地位。同時展現在世界各國面前是大清帝國願意賠款,而不敢作戰。
於十月三十一日,由駐北京英國公使.威綏瑪(Thomas Wade)居中調停,和約成立,日軍在登陸地的龜山建碑紀念後,退出台灣。這件日本藉口牡丹社事件侵犯台灣,滿清政府賠了夫人又折兵的情況下於是告終。