◆【正論】 (産経 06/5/30)
東京基督教大学教授・西岡力
盧武鉉政権の支援で総連と野合
≪歴史的和解は誤った見方≫
在日本大韓民国民団(民団)の河丙●団長らが今月十七日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の中央本部を初訪問し、「共同宣言」なる文書に署名した。
これを歴史的和解と肯定的にとらえる向きもあるが、実態はまったく違う。
民団中央を少数の左派親北勢力が乗っ取り、昨年後半から各種違法行為に対する厳しい取り締まりを受けて瓦解寸前の総連を助けようとしているというのが実際の構図である。
文書の内容について、事前に知っていたのは河団長ら一部幹部のみで、相談を受けなかった役員、地方幹部の間からは河団長らの責任を追及する声が出ている。
彼らは七〇年代に総連と内通して一度は除名されたグループであり、背後には、日米が進める対北圧迫政策から金正日政権を守りたいという盧武鉉政権の思惑がある。
民団は総連との和解にあたり、二〇〇三年から続けていた脱北者支援センターの活動を停止した。発表は「保留」だが、実際は停止である。民団地方組織や関係者からは強い批判が上がっている。
しかし、脱北者支援の停止は表面に出た問題点に過ぎない。共同宣言の2項にある「朝鮮総連と民団は6・15北南共同宣言を実践するための民族的運動に積極的に合流し、6・15民族統一大祝典に日本地域委員会代表団のメンバーとして参加する」ことこそが本質的な問題なのだ。
日本地域委員会とは「6・15共同宣言実践民族共同委員会日本地域委員会」(郭東儀議長)のことだ。
郭議長は一九五〇年代からの民団活動家だが一九七二年に民団を除名されている。
その後、金大中氏を議長に「韓国民主回復統一促進国民会議」(韓民統、後に韓統連=在日韓国民主統一連合と改称)を結成して現在は同組織の顧問である。
韓民統は韓国の大法院の確定判決により「反国家団体」と規定され(首魁(しゅかい)は国家保安法により最高死刑の処罰を受ける)、一九七三年八月から八〇年二月まで総連から毎月約一千万円を活動費として支援を受けてきた(月刊朝鮮二〇〇三年十二月号に引用されている在日韓国大使館が八〇年に作成の報告書)。
≪団長選出に大使館関与か≫
民団は今年二月、河新団長を選出した。関係者によると在日韓国大使館関係者が河団長支援に動いていたという話がある。
河団長は朝鮮総連の朝鮮学校で講師をしていた人物。新団長は五人の副団長の首席格に金君夫氏、企画調整室長に姜英之氏を指名した。二人は郭議長と同じ韓民統の主要メンバーだった。
三月二十五日、東京で開催された日本地域委員会総会で郭議長は、「民団をはじめとする各界各層の在日同胞団体と人士を日本地域委員会に網羅すべき」と演説した。
四月十一日、河団長ら民団中央新執行部は訪韓して盧武鉉大統領と面会。そこで毎年八億五千万円の本国政府から民団中央への支援金を継続してくれるように陳情した。
同月二十四日、民団の姜英之室長らが日本地域委員会の事務所を訪れ、河団長名の「『6・15共同宣言実践民族共同行事』に参加する提議書」で、「民団と韓統連、朝鮮総連が平等に実行委員会に参加し、協力することによって行事を成果あるように進行することに寄与しようと考えます」と、韓統連、総連と民団を同列に置くという驚くべき提案を行った。
この文書を持って郭議長は二日後にソウルに現れ、「民団の歴史になかった事件だ。私が七二年に民団から出て二〇〇六年に再び会うことになったのだが、民団の創設以来、総連と手を結んだことはない。
南北関係のようにお互いに対立関係にあり争ってきたが、いまや完全に壊して、日本からまず38度線をなくそう。われわれが模範を見せるのだ」と自慢げに語っている(統一ニュース四月二十七日)。
この流れの中で五月十七日の河団長らの総連中央本部訪問があったのだ。
≪「45万」と「5万」を同列視≫
現在、在日韓国・朝鮮人の人口は五十万人未満だが、このうち外国人登録の国籍欄に「朝鮮」と記載している人々は五万人を下回っている。
韓統連に至っては、組織員数は五百人程度で民団の千分の一だ。金正日総書記が日本人拉致を認めて以来、雪崩を打って朝鮮籍から韓国籍への書き換え、日本への帰化が増えている。
今回の民団中央と総連の野合は、四十五万人以上の大多数の在日韓国人を、五万人未満の総連、その別動隊である韓統連と同格に位置づけ、総連を守ろうという重大な政治陰謀といえる。
●=金へんに玉