日本経済新聞 社説 平成18(2006)年11月27日
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20061126MS3M2600226112006.html
「いざなぎ景気」を超えて4年10カ月続いた景気拡大をこのまま持続できるかどうか。米国経済の減速などで輸出環境の先行きが怪しくなる中で、個人消費の動向が注目されている。しかし一向に火がつく気配がない。マクロ的に見て企業業績が好調な割に、賃金があまり上がらない点に基本的な問題がありそうだ。
最近、企業活動が活発になり部分的に人手不足も起き始め、いずれ賃金も全般的に上がるとの見方がある。だがバブル崩壊後、経済のグローバル化などの影響で従来の賃金決定方式は機能しなくなっている。
副作用生む偏る分配
企業は危機的な状況を乗り切るために、様々な方策によって賃金を抑え込んできた。当然の対応だったわけだが、結果的に、賃金を出し惜しむ構造が根付いたようにみえる。
バランスを欠いたままにしておけば、経済にいろいろな副作用をもたらす。国内総生産の6割近くを占める個人消費の抑制はその1つである。就業者の85%を占める雇用者への適正な分配のあり方を、あらためて考えるべきときである。
今回の景気拡大が戦後最長と聞いても、「実感がない」という人が多い。1970年までの「いざなぎ景気」は平均して年率11%強の高成長で、名目雇用者報酬も70年度で前年度比21.1%も増えた。これがマイカーなどの耐久消費財ブームを引き起こしたのである。
現在の成長率は平均して年率2%強と低く、雇用者報酬は2005年度にやっと前年度比1.8%増とマイナス傾向から脱した状態だ。ところが四半期ごとに見ると昨年10―12月が前年同期比2.6%増、今年1―3月同2.1%増、4―6月同1.9%増、7―9月同1.3%増と早くも頭をたれている。
財務省の法人企業統計によると、付加価値額に占める人件費の比率は99年度の75.5%から05年度には70%に下がったのに対し、営業純益は5.5%から13.1%へと構成比を高めている。
労働分配率は景気に遅れて上がる傾向があるので、これから振り子が戻るように雇用者への分配が高まってもおかしくないが、そうは簡単にいかない理由がある。まず「春闘」崩壊後、それに代わる賃金決定の方式が確立していないことだ。
02年春、業績好調のトヨタ自動車が国際競争をにらんで、労働組合のベースアップ1000円の要求をゼロに抑えたのが決定打となった。追随する動きが相次ぎ、主要企業が横並びで賃上げして中小企業に波及させる春闘方式は事実上消滅した。
企業別に組織している日本の労組は企業防衛意識がもともと強く、他社より突出した賃上げを好まない。横並びが崩れて相場観を失うと、自社の競争力を優先して賃上げを自制する姿勢が一段と強まった。
厚生労働省調べによる主要企業の春の賃上げ率は、90年代初めまで4―5%程度だったのが、02年に1.66%と2%を割り込み、好環境の今春も昨年をわずかに上回ったものの1.79%にとどまった。
これでは勤続年数や年齢に基づく定期昇給分を確保できたかどうかという水準にすぎない。
全国組織の連合は来春、マクロ的に「実質1%以上の成果配分」を求める方針だが、80年代初めまで30%台だった労組の推定組織率は昨年で18.7%まで落ちている。組合員数も1000万人割れ寸前で、雇用者の3人に1人を占めるまでに増えた非正規労働者の1600万人を下回り、力は著しく弱まっている。
全体最適求めて見直せ
経営者の姿勢もかつてとは一変した。従業員共同体のトップという性格がまだ強かった90年代前半には、旧日経連が「ベアゼロ」方針を掲げると、反発する経営者がいたほどである。現在は存在感を増した株主、投資家に顔を向け、株主への利益配分を重視するように変わった。
05年度の東証1部上場企業の配当総額は5兆5000億円と過去最高に上った。自社株買いも積極的に進めている。M&A(企業の合併・買収)の標的にならないように、株価を高めに保ちたいとの考え方が背景にある。バブル期に劣らぬ収益力を回復しても、経営者は国際競争力を考えて設備投資や財務体質強化の手をゆるめない。労組も空洞化を警戒して総じて経営側に協力的である。
しかし国際的な大競争の中で、個々の企業にとっては合理的であっても、それが全体となると構造的に過少賃上げになりかねない。好業績の主要企業の経営者は現状に安住せず、自社および産業全体の賃上げのあり方を見直すべきである。
政策的にも、パートタイマーと正社員との「均衡処遇」や、生活保護費との逆転も起きている最低賃金制度の改革などをどう進めるか、課題が多い。経済全体の最適化を求めて総合的な取り組みが必要である。