日本経済新聞 NETアイ プロの視点 平成19(2007)年2月7日
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/asakawa/index.html
浅川 澄一 編集委員
高齢者の自宅を訪れ、筋力維持の体操を指導する訪問看護師
日本人は死に場所をどこに求めているのだろうか。9割近くが病院である。在宅死はわずかに1割強。だが、60年前までは全く逆で、ほとんどの人が自宅で亡くなっていた。それが、「戦後」に別れを告げ、経済が成長軌道に乗り始めた昭和30年代から病院での死亡者が増え始め、1977年(昭和52年)には両者の比率が逆転した。
在宅死を高める政策は進んでいるが
先進国の中でも突出した「病院偏重」だ。
多くのアンケート調査では「家で死にたい」との答が多いにもかかわらず、である。両方が拮抗状態だった1973年に、老人医療費の無料化施策が病院志向に弾みを付けたのは間違いない。家族にとって、身内が病院で亡くなるのは、親類や周囲に対し「治療に全力を尽くした」という言い訳になり外聞がいい。その傾向が、費用が安くなれば加速するのは当然だった。
この急落した在宅死亡率を高めることが、実は、厚労省の「隠れた」大きな政策目標になりつつある。財政難からだ。病院死が少なくなるということは、医療や介護にかかわるコストの大幅な削減につながる。現在のところ入院日数の短縮が表面的な政策目標で、そのための医療改革に着手しているが、むしろ、国民の根本的な意識転換に対する期待のほうが高い。
今では、厚労省自体も老人医療費の無料化は「まずかった」と、霞が関官庁としては珍しく反省している。
「在宅重視」や「社会的入院の廃止」を掲げてスタートした介護保険も、背景にはコスト高の施設入所や入院を減らして、できるだけ在宅生活を長く、という強い思いがあった。昨年打ち出された介護保険施設としての老人病院(療養病床)の廃止策もその一環である。
さらに、在宅療養支援診療所制度を新たに導入し、訪問診療に乗り出す医師を広げようとしている。同制度で在宅患者を看取れば10万円もの報償まで用意して、在宅医療の浸透に力を入れだした。
財政面から拍車がかかっているものの、当人の本望であることからも、流れとしては歓迎すべきことだろう。もちろん、在宅死というのは、必ずしも自宅死だけを指すものではない。家族介護から社会的介護への転換を目指す介護保険の精神からも明らかなように、家族介護を強制した結果の自宅死は避けるべきことである。グループホームや有料老人ホームなどのケア付き共同住宅を念頭に置いた在宅死である。
在宅医療に欠かせない訪問看護師
では、在宅死を迎えるための環境整備が十分かと言えば、まだまだ足りない。医師がきちんとした訪問診療を実行する上で欠かせないのは訪問看護師である。在宅療養者の生活をまるごとウォッチできるのは看護師しかいない。訪問看護師とのチームワークがなければ、在宅医療は成り立たないし、在宅死への道筋は描けない。
ところが、その肝心の訪問看護師の育成態勢があまりにも遅れている。否、制度上は、訪問看護師の増大を抑えたがっているかのように見えるほどハードルが高い。
訪問看護は、在宅療養者に対して、日常生活での健康状態のチェックをはじめ、リハビリ指導、床ずれ処置、入浴介助、便のかきだし、人工呼吸器管理などその活動は実に多岐にわたる。実力のある看護師は「一対一で24時間、365日の付き合いができる。家族全員の食事や仕事ぶりも関係してくるから、その家庭生活全般のアドバイザーにならざるを得ない。その醍醐味は病院の流れ作業では味わえない」とまで誇らしげに語る。生活しながらの療養では、家族との対応などで医師よりも看護師が頼りにされるからだ
だが、それはあくまで「良識のある」医師に恵まれた場合である。というのも訪問看護師のすべての業務は医師が書き込む「指示書」に従わなければならないからだ。
「保健師・助産師・看護師法」により、看護師の業務は「医療行為の補助」と「療養上の世話」とされている。前者には医師の指示書が必要。だが、後者は本来不要である。それにもかかわらず、病院勤務でない地域活動を手掛ける訪問看護では、すべて医師の指示書通りに動かねばならない。医療法と介護保険法でそう定めている。「筋が通らない」と厚労省内部からも疑問の声が聞かれるほどだ。
現場の訪問看護師の間では、「リハビリや入浴介助など医師より詳しい」「医師は生活や家族への目配りに無関心」と制度改革を望む声は多い。「指示書でなく確認書で十分のはず」と断言する有限会社やNPOの看護師代表者もいる。
看護師は医師の半人前以下か?
訪問看護業務を病院からでなく、地域の中で独自に手掛けるには訪問看護ステーションという事業所を設立しなければならないが、これがまた強い規制で縛られている。常勤換算で看護師が2.5人いないと都道府県から認可されないという「2.5人規制」である。医師が一人でも診療所を開設できるのとは大違いである。
病院を飛び出して、地域看護を志しても、同僚などを2人以上集めないと独立できない。どんなベンチャービジネスでも、当初から多くの顧客はつかめない。はじめは細々と事業を興し、次第に顧客が増えればスタッフを揃えていくものだろう。
医師や弁護士だけでなく、税理士や会計士、司法書士などの専門職が独立開業するときに多人数規制はない。
現場の訪問看護師からは「厚労省はもちろんですけど、同じ医療に携わる医師からも信用されていないということでしょう」と、自嘲気味に理由を説明する声が聞かれる。
もう一つの独立開業を萎縮させる規制が、「自宅マンションでの開業はダメ」という東京都など自治体からのおふれだ。厚労省は「専用の区画があればいい」としか伝えていないにもかかわらず、都道府県が「玄関からの専用の導線がないと専用区画の確保にならない」と、杓子定規に勝手に解釈してしまった。
結果として、出入り口が2カ所必要になり、勝手口が作れる戸建て住宅と違って、玄関ドアひとつのマンション暮らしでは、新たな事務所を別に探して設けねばならないことになってしまう。都会部での高額な家賃負担は、看護師の意気を削ぐことになる。
こうした障害が訪問看護ステーションの浸透を妨げている。当初、ゴールドプランの中で2004年度までに全国で9900カ所の設置計画が、2006年4月になっても5700カ所にとどまっている。2000年4月の介護保険スタート時は4730カ所だったから、6年間でわずか20%しか伸びていない。
他の在宅サービスである訪問介護や通所介護の事業所数が、この6年間で共に2倍になっているのに比べ対照的である。
ちぐはぐな政策の犠牲に
こうした状況に追い打ちをかけるように、昨春の診療報酬の改訂が訪問看護ステーションに劇的な打撃を与えている。急性期の病院で看護師を増やすと診療報酬が上乗せされることになったのだ。これだけをみると、病床当たりの看護師が増員になるから結構なことだが、大病院で看護師の増員が一挙に進み、そのあおりを受けて訪問看護師が地域現場から去りつつあるようだ。
全国の訪問看護ステーションの約1割が集中し最多の東京都では、昨年4月から今年の1月1日までの休廃止が前年同期の約2倍、73カ所に達した。「これまでにない多さ」(東京都介護保険課)だ。新規開設は少なく、このため年間を通じてわずか3カ所しか増えず、前年の51カ所増から大幅減となっている。